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高瀬 清子
株式会社ファイブフォックス/取締役副社長
私は、ファッションとは服づくりを通して、文化を創造することだと考えています。クリエイティブな企画の作品(商品)があり、ショップという舞台で演出がなされ、販売スタッフという役者によって作品の持つ作者の意図が伝えられること。この一連の流れが完成されることによって、はじめて文化が生まれると考えます。そして21世紀はこの総合プロデュースができる人材が活躍する時代だと思います。
中谷 学
株式会社イッセイミヤケ/パタンナー
ファッションクリエイター学科
クリエイターマスターズコース2002年3月卒業
憧れの、世界のミヤケイッセイに入社。
初めて服を作ったのは高校生で、買ってきた服をバラして型紙を取り自己流で縫っていました。就職は学生時代からの憧れだったので、かなりの競争率でしたが思い切ってチャレンジ。最初の作品選考は300人でも、採用されたのはわずか3人(技術職)でした。最終面接で三宅先生にお会いした時は大感激で、もの凄いオーラを感じたのを覚えています。
パタンナーの道を決めた先生のひと言。
入学時には服作りの職種すら知らないほどでした。パタンナーを選んだのは、先生に「1枚のデザイン画を10通り20通りに解釈できる能力が必要だ」と教わったから。今でも心の中に刻んでいる言葉です。自分の作った服を着てもらうのはもちろん、将来は身に付けた知識や技術を後輩に伝えていきたい。それが自らの成長にもつながると思っています。
ナカヒガシ ユウコ
CENTER EAST/デザイナー&コスチューム・コラボレーター
ファッションクリエイター学科
ファッションデザインコース1998年3月卒業
「CENTER EAST」という自社ブランドで、美術・芸術作品としての服をつくるかたわら、オーダーメイドも請け負っています。美術家・森村泰昌さんの衣裳をつくったり、アート関係の方とのコラボレーション作を制作したり、毎日がとても刺激的です。UEDA時代にはかなり本気で勉強しました。夏休みには毎日デザイン画を描いて勉強し、とにかく人と違うものをつくりたいと思っていましたね。私にとってのファッションとは「自分というイメージを創るフィクション」。布一枚には粋な世界が隠されているんです。これからも自分にしか
つくれないものをつねに発信していきたいと思っています。
渚 裕子
株式会社ワールドストアパートナーズ/INDIVIマネージャー
スタイリスト学科1989年3月卒業
販売員から店長を経て、現在はINDIVIのブランドマネージャーとして全国140店舗を統括しています。その過程でさまざまなブランドの業態開発にも携わり、スタッフの教育や販売力の強化などに取り組んできました。販売の世界は競争が激しいので人と同じ事をしていてはダメなんです。その代わり一生懸命やれば必ず結果が出せる仕事です。現在、総勢700名のスタッフを抱えていて思うのは、やる気のある人は必ず伸びるということ。人と違う努力、何倍もの努力をしていれば、必ず誰かが評価してくれる。UEDAの学生は「頑張れば報われる」ということを知っているから強いと思います。
城 正博
ViVid/スタイリスト
ファッションビジネス学科
スタイリストコース1999年3月卒業
スタイリストという仕事は、お客様の目線で色やアイテムの使い方を提案し、ファッションをよりおもしろく、かっこよくする仕事。センスを認めてもらえればどんどん仕事が入ってくる、実力の世界です。僕はUEDA在学中からプロのスタイリストの下で勉強していました。あの頃のことを思い出すと、スタイリストにないたい一心で脇目も振らず突っ走っていた感じですね。卒業後は2年半程度アシスタントをし、その後、3ヶ月間ニューヨークで勉強しました。本気になれるものを見つけて、それに向かってひたすら進む気持ちは本当に大事。それさえあれば、それさえできれば、夢は120%かなうと信じています。
福井 真実人
株式会社ナガセ/シューズデザイナー
ファッショングラデュエイト学科
工芸コース2007年3月卒業
UEDA時代は、自分でつくった靴を履くのがとにかくうれしかったですね。授業で作品をつくるうちに「靴の職人になりたい」という気持ちがどんどん固まっていきました。UEDAで靴づくりの全体的な流れは学んでいましたが、実際にプロの世界に入ってみるとやっぱり厳しい。入社当時はよく先輩から「使いものにならん」と怒られていました。それが「よくやった」という言葉に変わったときは本当にうれしかったです。勤務後や休日などには、工場の木型を借りて今でも靴づくりの練習をしています。足に合う靴というのは、たったワンサイズしかない。だからきちんと技術を磨き、責任を持って作りたいんです。