つくにはブックス No.5
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ささき ゆういちろう▶ 1995年、立教高等学校在学中に太田プロダクションに所属し、芸人として5年間活動。2002年、日本プロライフガード協会での海難救助活動が契機となり、2005年に亀田医療技術専門学校入学。卒業後、2008年に東邦大学医療センター大森病院入職、脳神経外科内科など計11年間在籍。2012年、東京都看護協会認定の「災害支援ナース」となる。2019年、双愛会ファミリークリニック蒲田訪問看護ステーションに入職。被災者が安心して避難所で暮らせるように―佐々木さんは看護師以外にも「災害支援看護師/災害支援ナースのスペシャリストに聞きましたフファァミミリリーーククリリニニッックク蒲蒲田田災災害害支支援援ナナーースス公公益益社社団団法法人人東東京京都都看看護護協協 看 看会会護護所所師師属属//医医療療法法人人社社団団双双愛愛会会誰かが痛い時、苦しい時、寂しい時にこそ助けとなれるのが、私たち看護師だと思います。海で子どもの命を救い、看護の道へけて、胸が熱くなりました。それからはかけが−高校生の頃はどんな学生でしたか?えのない命を救いたいと思うようになり、社会 いつも楽しいことや、人を笑わせることばか人経験をし、地元の看護学校に入学しました。り考えていました。その気持ちが高じて、2年―現在は看護師としてどのようなお仕事をさ生の夏に芸能オーディションを受けたら、合格れていますか?してしまいました。事務所の先輩方に言われた 今年の3月までは同一法人内の訪問看護ス「人間を観察しろ」というアドバイスは、今もテーションに在籍して訪問看護を担当し、患者自分の仕事に息づいています。さんのバイタル測定や清潔ケア、内服薬調整―看護師となったきっかけは?などを行っていました。4月からはファミリー 高校を出た後、千葉県にある海難救助の会クリニック蒲田に配置替えがあり、精神科領域社でライフセーバーのアルバイトをしていたで訪問診療を行っています。時がありました。ある日、海水浴場で女の子が流されて救助に向かい、無事助けることができました。彼女のご家族から泣きながら感謝を受佐佐々々木木雄雄一一郎郎 ささんん

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